はじめに|「走るなんて無理」と思っていた、あの日の僕へ
手術を終えて、ふと思いました。
「あれ?体力めちゃっ落ちたな」と。
手術で10日ほど入院し寝ていたら、からだを動かすのがしんどい。まず、退院時の荷物が重く感じました。そして外来をでてタクシー乗り場までの距離が長く感じました。
予想以上に体力は落ちていました。
体力が落ち動くのがしんどい状況でしたが、手術後の痛みや治療を理由や、周囲から「あまり無理しないように」との声に甘えてしまい、運動することから目をそらしていた自分がいました。
でも、仕事復帰も控えこのままじゃ訪問看護にも出かけられない、利用者さんに迷惑をかけてしまうと考えたんです。
少しでもリハビリとして動こう、体力をつけて早く復帰しなければと思いました。
まずは犬の散歩からはじめ、その次に両手にストックを持ってのウォーキング。手と足を動かし息が切れます。
少しだけなれたところで、走り出そうと決心しました。
たった1キロ。それだけでも、息は上がるし脚は重い。
だけど走り終えたとき、清々しさを感じ、ちょっとした達成感を感じたのです。
「がんで手術をしたけど、走れるまで回復したんだ!」って
がん患者でも、走っていい。
いや、がん患者だからこそ、体を動かす意味がある。
これは、そんな僕の「走る理由」をつづった物語です。
「がんだからって、何もしないわけにはいかない」
僕が再び走り始めたのは、そんな思いからでした。
がんと診断される前、仕事が忙しくて運動から離れて3年。
でも、手術を終えて治療に一区切りがついたとき、ふと思ったんです。
「このまま体力が落ちていったら、もし再手術になったら耐えられるのか?」
その不安が、ランニングを再開し継続するきっかけになりました。
ランニングは“自分との小さな約束”だった
最初は、本当にきつかった。
体が思うように動かない。朝は寒いし、気分が乗らない日もある。
BCG治療を行い体がだるい日もあった。さすがにその日は4kmのウォーキングにしたけど、次回からは早朝に起き治療の前前でに走ってしまう作戦として継続。
雨が予想されたら、早朝でも深夜でも走った。
今、思えば自分がこんなにストイックになれるとは思ってもいなかった。
それは誰かに見せるためじゃなく、自分にだけは嘘をつきたくなかったから。
「今日はちゃんとやったよ」って、自分に言えること。
それが、がん治療を乗り越えた僕にとっての“大きな達成感”につながっていたのです。

やらなかった後悔より、「やったけど…」の納得を
もしこのまま何もせずに、再発や転移を迎えたとしたら?
手術をして体力回復するまできっと時間がかかるだろうし、ダメージも大きいだろう。
そんなときに「もっと体力つけておけばよかった」って思いたくなかった。
自分の場合、ほぼ確実にがんの再発はあるだろう。
だけど、なんの努力もせず「再発した・転移した」では自分の心が許さない。自分が「できることはやった・努力した」と思えるだけで、再発や転移時の気持ちは全然違うと思う。
だから僕は走る。それがたとえ小さな積み重ねでも、未来の自分を支えてくれると信じてる。
がん患者こそ“主体的に生きる力”を取り戻したい
がん治療って、どうしても受け身になりがちです。
薬を飲んで、検査を受けて、医師の指示に従う。
実は看護師として働いていたころ、そんな「言われたことをきちんとこなす患者さん」が、良い患者だと思っていました。
でも、自分が実際にがん患者になってみて分かったんです。
ただ従っているだけでは、心がどんどんすり減っていくということに。
もちろん、治療には医師や看護師の専門的なサポートが不可欠です。
でも、それ以上に大切なのは、この体は自分のものであるという意識。
医療に任せる部分と、自分で保ち続ける部分、そのバランスがとても大事なんです。
僕はこう考えるようになりました。
「医療者の車輪」と「患者である自分の車輪」――
この二つが同じ方向に、同じペースで動かなければ、治療という旅は前に進まないんじゃないかと。
だから僕は、何かひとつ“自分で決めてやること”が必要だと思った。
その中で選んだのが、ランニングだった。
「自分で決めて、自分で動く」。
たったそれだけのことが、驚くほど心を強くしてくれるんです。
走ることは、ただの体力づくりではありませんでした。
それは、「治される側」から「生きる側」へと、僕の意識を変えてくれる訓練だったのかもしれません。

「がん患者だからこそ動く」という選択
体力って、年齢を重ねるごとに維持が難しくなる。
がんの治療後ならなおさらです。
でも、何もしなければ下がっていく一方。そうです下り坂です。
ならば、少しでも止める努力をしたい。
それが、将来旅行に行く体力かもしれないし、次の治療に耐える力かもしれない。
主体的に生きるって、特別なことじゃない。
「今日、ちょっと歩こうかな」「1キロだけでも走ろう」
そんな一歩を、自分で選ぶことから始まるんです。
あなたは、どんな一歩から始めますか?
ランニングは、僕にとって“がん患者としての自分”と向き合うための時間でした。
体が重くて思うように動かない日もあるし、心がついてこない朝もあります。
それでも、一歩一歩前に進んでいくうちに、走り終えた空はいつも少しだけ澄んで見えました。
走ることで、自分の命と丁寧に向き合う時間が持てた気がします。
「今日も動けた」「まだやれる」
そう思えることが、体だけじゃなく、心の支えにもなっていきました。
未来に手術が必要になるかもしれない。
病状が変わるかもしれない。
それでも、自分の足で立ち、自分で進んだ日々がある。
そう思えたら、きっと少し誇らしくなれるはずです。
無理に走らなくてもいいんです。
家の周りを5分だけ歩く。
朝、カーテンを開けて深呼吸をする。
手帳に小さな目標を書く。
そんな“小さな行動”でもいい。
その一歩が、未来のあなたを支える力になっていくはずです。
あなたは、どんな一歩から始めてみますか?
その選択が、あなた自身を少しずつ変えてくれるかもしれません。


走る呼気には4-7-8呼吸法も私が継続している一つです。

走っている体、その体は乗り換えられません。常日頃からメンテナンスしてくださいね。体の重要性を訴えているブログ記事です。

がんになったことで失ったことは多かったのですが、同時に人生に大切なことを気づかせてくれました。