【本記事は「がん患者あるある」シリーズ第1回/全6回の連載企画です】
がんと診断されてから、自分の感情が大きく変わったと感じることはありませんか?
これまで何気なく過ごしていた日常が、がんという出来事を経て、少し違った景色に見えるようになった――ちょっとしたことで心が揺れ動くようになった――
そんな“心の変化”に、私は看護師としても、そして患者としても触れてきました。
このシリーズは6回構成で、がん患者だからこそ感じる「あるある」をテーマ別に紹介していきます。
第1回は「心あるある編」。
「自分だけじゃないんだ」と、そっと心が軽くなるような共感のきっかけになれば嬉しいです。
1. 涙もろくなる
2. 人の優しさや笑顔に敏感になる
3. 「頑張ってね」がつらいときもある
4. 「来年も桜が見られるかな」と思う
5. 何か体験しても「これが最期かも」と考えてしまう
6. 人と比べて落ち込むことがある
7. 「当たり前」に感謝できるようになる
8. 少しの体調変化に不安になる
9. ちょっとした言葉に傷つくことがある
10. ネガティブでも大丈夫な場所がある
【がん患者 心あるあるベスト10】
1. 涙もろくなる
がんという経験をしてから、心のガードがゆるくなったように感じています。
テレビCMや通勤途中の何気ない風景、家族の何気ない一言でも、ふと涙があふれてしまうことがあります。
ある日、飛行場で飛び立つ飛行機を見たとき、胸にぐっとこみ上げるものがありました。
「私はこのまま置いていかれてしまうんじゃないか」
そんな孤独感に包まれ、気づけば頬を伝う涙をぬぐっていました。
そして、私にとって特別な瞬間――それは人生で初めて行ったコンサート。
30年聴き続けてきた渡辺美里さんの「My Revolution」が流れたとき、これまでの人生や、がんと向き合う日々が走馬灯のように思い出され、涙が止まりませんでした。
手を振りながら泣いたあの瞬間は、今でも忘れられません。
涙もろくなったのは、弱くなったからじゃなくて、きっと“心が開いた”証。
がんを経験したからこそ、日常の中にある感動や優しさに、より敏感になれたのかもしれません。
2. 人の優しさや笑顔に敏感になる
がんと向き合う日々のなかで、私は「人のやさしさ」にとても敏感になりました。
普段なら気にも留めなかったような小さな言葉や表情が、心にじんわりと染みわたるようになったのです。
病院での看護師さんのふとした笑顔。
薬局で「お大事に」と言ってくれた店員さんの、何気ない声かけ。
X(旧Twitter)で届いた「頑張ってるね」「無理しないでね」というコメント――
そのひとつひとつが、かけがえのない応援として胸に響きました。
特に、同じように闘病を続けている方々から届くメッセージには、何度も心が揺さぶられました。
「私も同じ治療をしているよ」「辛いの、わかるよ」
その共感の言葉にふれるたび、こらえきれずに涙してしまうこともありました。
病気という困難のなかで感じるやさしさは、いつも以上に深く、あたたかい。
だからこそ私は、「今度は自分が、誰かにやさしさを返したい」と思うようになりました。
病気でつらい人の心に、少しでも灯りをともせるような言葉や行動を届けていきたい――
そんな願いを持ちながら、今もXでの発信や日々の出会いを大切にしています。
3. 「頑張ってね」がつらいときもある
「頑張ってね」――
その言葉が、あるときは胸にチクリと刺さることがあります。
もちろん、悪気なんてない。むしろ励ましのつもりでかけてくれているのは分かっています。
でも、もう十分頑張っているからこそ、「頑張ってね」と言われると、どこか取り残されたような気持ちになるのです。
特に、別れ際にあっさりと「頑張ってね!」とだけ言われたとき。
その瞬間、「この人にとって、私はもう“特別”じゃないのかも」――
まるで他人事のように感じてしまうことがありました。
「今つらいんだ」「心細いんだ」って、本当は気づいてほしかったのかもしれません。
それよりも、嬉しかった言葉があります。
「また会おうね」
「LINEでも電話でも、いつでもしていいよ」
そんなふうに、“この先もつながっているよ”という未来を感じさせてくれる言葉は、心をほんのり温めてくれました。
「一緒にいよう」「話を聞かせて」――
そう言ってくれる人の存在が、どれだけ心強いか。
がんと向き合う中で知ったのは、「励まし」よりも「寄り添い」の方が、深く人の心に届くということでした。
4. 「来年も桜が見られるかな」と思う
がんと向き合うようになってから、季節の移ろいに心が敏感になりました。
春の桜、夏の海、秋の紅葉、冬のイルミネーション…。
そのひとつひとつが、これまで当たり前のように通り過ぎてきた風景なのに、今はまるで宝石のように輝いて見えるのです。
そしてふと、そんな美しい景色の中で思うのです。
「来年も、この桜が見られるだろうか」
「また、同じように笑ってこの季節を迎えられるだろうか」
とくに春――桜の季節には、何とも言えない気持ちになります。
あたたかい日差しに包まれて、花が一斉に咲き誇る光景は、どこか希望を感じさせる一方で、命の儚さにも触れているようで。
寒く暗い冬のあとは、どうしても気持ちも沈みがちになります。
でも、春がくると心がふっと軽くなって、やっぱり桜の存在って日本人にとって特別だなと感じます。
それはただの風景じゃない。
「生きてまたこの瞬間に出会えた」っていう、再会のような気持ちなのかもしれません。
私は今、2025年の春。
この目でしっかりと桜を見ています。風に舞う花びらを見上げながら、心の中でそっと「ありがとう」とつぶやきました。
来年も、再来年も、この景色にまた出会えますように。
そう願いながら、今の一瞬をしっかり胸に焼きつけています。
5. 何か体験しても「これが最期かも」と考えてしまう
旅行に出かけたとき。
ライブで音楽に揺れているとき。
家族で囲む何気ない食卓の時間――。
そんな幸せな瞬間のなかで、ふとよぎるんです。
「これが、最期かもしれないな」って。
普通なら、そんなこと考えないかもしれません。
だけど、がんと診断された私たちは、自分の“終わり”というものを、一度は具体的に意識してしまった存在です。
それは、余命がどうこうという話ではなく、
「未来が当たり前に続くわけではない」という、どこか現実的な感覚。
だからこそ、何気ない1回の出来事が、ものすごく貴重に思えるのです。
私は、人生で初めてライブに行きました。
30年近く聞いてきた渡辺美里さんのステージ。
「My Revolution」のイントロが流れた瞬間、涙が止まりませんでした。
「今、この曲をこの空間で聴けることが、どれほど幸せか」
そんな思いがあふれて、心がいっぱいになったんです。
日常をただこなすのではなく、味わい尽くす。
がん患者になって初めて、「いま、ここ」を大切にしようとする感覚が、自分の中に芽生えました。
もし、これが最後になっても悔いがないように。
「楽しかった」「幸せだった」と思えるように。
がんという現実を抱えながらも、
だからこそ、一つひとつの体験を深く味わう力をもらった――
そんなふうにも思えています。
6. 人と比べて落ち込むことがある
飛び立つ飛行機を見たとき、ふと「人生に取り残された気がする」と感じました。
元気に働いて、自由に旅をしている人たちがまぶしく見えて、自分は止まってしまったような感覚に襲われたのです。
本当は、もっと働いて、もっと遊んで、もっと笑いたかった。
でも今は、治療を優先し、がんと向き合う毎日。
そんなとき、「人と比べすぎない」ことも、自分を守るひとつの方法だと気づきました。
ゆっくりでも、自分のペースで前に進めばいい。そう思えたら、少し心が軽くなります。
7. 「当たり前」に感謝できるようになる
朝、目が覚めること。
ご飯を食べられること。
誰かと会話をすること――
以前は気にも留めなかった日常の一つひとつに、「ありがとう」と思えるようになりました。
たとえば、妻と些細なことで口論した日。
前ならただイライラして終わっていたかもしれません。
でも今は、「妻がそばにいてくれるからこそ口論ができる」と、ふと気づくのです。
自宅で暮らせていること。
戦争や災害のない日々を送れていること。
そして、自分も妻も健康で生きていること――
それらすべての「前提」がそろって、ようやく“いつもの日常”が成り立っている。
がんと向き合ってはじめて、その当たり前が、奇跡のように尊いものだと感じるようになりました。
8. 少しの体調変化に不安になる
がんと診断されてからというもの、自分の体調の変化にとても敏感になりました。
以前なら「ちょっと疲れたかな」で済ませていた頭痛や腰痛。
でも今では、
「もしかして脳腫瘍…?」
「これって骨転移の前兆?」
――そんなふうに、つい“がん”と結びつけてしまうのです。
でも、私は今こう思っています。
その不安こそが、自分の身体を大切にする第一歩なのだと。
これまでは、多少の不調があっても「気のせいだろう」と見過ごしてきた自分がいました。
けれど今は、「気にすること」が悪いのではなく、「気づけるようになったこと」が大切なんだと感じています。
不安なときは、自分だけで抱え込まずに医師に相談すること。
検索ではなく、診察で安心を得ること。
それが、がんと向き合っていくうえで、自分を守る正しい“敏感さ”だと思います。
9. ちょっとした言葉に傷つくことがある
「元気そうじゃん!」
……この一言、がん患者にとっては意外と重たいんです。
実際に、私も言われたことがあります。悪気はないのはわかってるんです。励まそうとしてくれたのかもしれない。でも、その言葉に、ぐっと胸が苦しくなったのを覚えています。
「いや、その“元気”を保つために、どれだけ努力してるか知ってますか?」
定期的な治療、副作用との戦い、日々の体調管理、そして再発や転移への不安に耐える日々。
それらを乗り越えて、やっと普通に見えるようにしてるのに、「元気そう」という一言で、すべてが“軽く見られた”ような気がしてしまうのです。
「がん患者って、もっと痩せてて、脱毛してて、ヨレヨレで…そんなイメージじゃないの?」
そんな“らしさ”を求められても困るんですよね。
治療が奏功していたり、自分なりに工夫して生活を整えていたりすれば、“一見元気”に見えるのは当然なんです。
でも、その裏にある苦労や不安に、どうか想像をめぐらせてほしい――
そう願わずにはいられません。
悪意のない言葉ほど、受け止め方に困ることがあります。
だから私は、できるだけ周りの人にも“自分の状況”を小出しに伝えるようにしています。
それは、自分を守るためでもあり、相手との関係を壊さないためでもあります。
10. ネガティブでも大丈夫な場所がある
がんと向き合う中で、不安や怒りを口にできず、押しつぶされそうになる日もありました。
そんな時、私はX(旧Twitter)に心のうちを吐き出しました。
「共感しました」「私も同じです」
見ず知らずの人から届く言葉が、こんなにも温かいなんて思いませんでした。
ネガティブでもいい――そう思える場所があるだけで、心はふっと軽くなります。
誰にも話せない気持ちこそ、安心して吐き出せる場所を見つけてくださいね。
【まとめ:心あるあるは“命と向き合っている証”】
がんになって、弱くなったように感じるかもしれない。
でも、実はそれは「心が敏感になった」「大切なものに気づけた」証なのかもしれません。
今日も生きていること、感じていること、誰かと繋がっていること。
それだけでもう、あなたは立派に生きている。
どうか、そんな自分を労ってあげてくださいね。
【次回予告】
第2回は「身体あるある編」。
「術後の違和感」「副作用のリアル」「体重の増減」などを取り上げます。
どうぞお楽しみに!
いつもX拝見しています。
なかなか言語化が難しい「あるある」ですが、わかりやすく「言語化」していただいたおかげで、私のような癌患者やそのご家族、周りの方たちに届くといいなと思います。
次回の記事も待っています。
嬉しいです。ブログ開設 初コメントです!第一号です! これからもがん患者さん そしてそれを支えるご家族さん、医療者に届け!と思っています。
明日、パート2も出します。これからもよろしくお願いします!