ブログ「伝えること」と「書き続けること」の間で揺れた日
ブログを書き続けていると、ふと立ち止まる瞬間があります。今日、まさに僕はその瞬間に立っています。
毎日1記事。
とにかく書く。更新を続ける。それがいつの間にか「目的」になってしまっていたのかもしれません。
「何のために書いているのか」迷いの中で
先日、「「あの看護師さん、注射がうまい!は本当?」」というブログ記事を投稿しました。
元々持っていた原稿をベースに、眠気と闘いながら、なんとか仕上げた記事でした。
でも書き終えたあと、ふとこう思ったんです。
「なんでこんなに睡眠を削ってまで書いているんだろう?」
その夜は、目をこすりながらパソコンに向かっていました。
目の前の文章が二重に見えて、何度も同じ段落を読み直して、気づいたら同じ言葉を打ち直していたことも。
「もうやめようか…」と心の中でつぶやきながら、
「でも、ここで止まったら、全部が無駄になるかもしれない」
そんな焦りが、手を止めさせてくれませんでした。
冷静に考えれば、そんな無理をして書いた記事が“誰かの心にちゃんと届く”とは限らない。
でも当時の僕には、止まるという選択肢がなかったんです。
正直、その時の僕は焦っていました。
収益を上げたい。
早く軌道に乗せたい。
とにかく50記事までは走り切らないといけないという義務感。
そして、もし一日でも休んでしまったら、もう二度と書かなくなるかもしれないという不安。
止まってはいけない、そう思っていたんです。
でも、その気持ちが強すぎたせいで、大事な何かが置き去りになっていた気がするんです。

少しずつ届いているという実感と、数字に縛られる自分
Xでブログの更新通知を出すようになってから、「いいね」やコメントが少しずつ増えてきました。
「共感しました」
「励まされました」
そんな言葉を見るたびに、僕はうれしくて、「書いてよかった」と心から思います。
確実に、誰かの心には届いているんだと実感できる瞬間です。
でも同時に、数字が伸びないと寂しさを感じる自分もいます。
PV数、クリック率、アフィリエイト収益……。
気づけば、数字に支配されていた。
そんな自分に気づいたとき、少しだけ悲しくなりました。
もちろん、数字は大切です。
アフィリエイト収益がなければ、生活を支える柱が育たなくなる。
だからこそ、アクセス解析やクリック率を見て一喜一憂してしまう。
ただ、本来の目的はそこじゃなかったはず。
読者の「ありがとう」が嬉しくて、
「このブログで救われました」の声が原動力だったのに、
いつしか「Googleに評価されるか」が中心になってしまっていた。
そこに気づいたとき、少し自分が情けなくなりました。
僕がブログを始めた理由——家族と向き合う現実の中で
僕は、がんの治療と向き合わなければならず、経営していた訪問看護ステーションを手放し、今は常勤の訪問看護師として再出発しています。
治療の影響で働ける日数も限られていて、収入も大きく減りました。
それでも、大学、高校、中学と通う3人の子どもたちの学費や生活費を捻出しなければなりません。
だからこそ、このブログを通じて、広告収益を少しでも得られたら——。
そんな現実的な理由も、この挑戦の背景にはあります。
生活を支えるために始めたブログ。
でも今は、それ以上に「誰かに届けたい想い」が、この活動を支えてくれています。

僕が書き続ける理由——届けたいものがあるから
僕は看護師です。そして、がん患者でもあります。
看護師として、これまで培ってきた技術や知識、そして「やさしさ」や「共感」を、目の前の患者さんに届けてきました。
でも、訪問看護師として接することができる人の数は限られています。
でも、ブログなら。Xなら。インターネットの力を使えば、
がんと闘っているもっと多くの人たちに、自分の経験や思いを届けられるかもしれない。
そう思って、このブログを続けてきました。
がん患者としての自分。
看護師としての自分。そして一人の人間としての僕。
その姿を、伝えたいと思ったんです。
忘れられない、あの社長さんの言葉
まだ記事にはしていないんですが、ある日、末期がんの社長さんとお話したことがあります。
その方は、もう余命が数か月という状態でした。でも、僕にこう言ってくれたんです。
「きっと大丈夫だから、頑張りなさい」
あの言葉が、今もずっと心に残っています。
健康な人に「頑張って」って言われると、ムッとすることもあります。でも、そのときは違いました。
同じように病気と闘ってきた人からの言葉だからこそ、心に深く届いたんです。
「この人の分まで生きなきゃいけない」
そう強く思いました。
そして、そんな気持ちを、多くの人に伝えなければならないと思いました。
がんという病気は、たしかに苦しいものです。
でも、その苦しみの中で生まれる言葉には、健康なときには見えなかった“やさしさ”や“想い”が込められている気がします。
僕の経験も、まだ誰かに届いていない「大丈夫」に変えられるかもしれない。
そう信じて、この言葉を綴っていきたいと思っています。
これからの僕は、「届ける」ために書いていきたい
ブログを書く理由は、1つじゃなくていいと思うんです。
・誰かを励ましたい。
・自分の心を整理したい。
・そして、生活を支える収益を得たい。
そのどれもが本音で、どれもが大切です。
でもこれからは、書くたびにこう問いかけたい。
「この文章は、誰かの明日をちょっとだけ明るくできるだろうか?」
僕はこれからも、ブログを書いていきます。
それは、誰かに届けるために。

最後に——あなたへ
ここまで読んでくれてありがとうございます。
もしかしたら、あなたも今、頑張りすぎていませんか?
「自分だけが苦しんでいる」と感じたときこそ、人とのつながりが支えになります。
このブログが、ほんの少しでもあなたの気持ちを軽くできたら、それが僕にとっての一番の喜びです。
あなたはどんな気持ちで、今このブログを読んでいますか?
よかったら、Xで教えてくださいね。
僕は、ここにいます。