はじめに|“あの日”は突然にやってきた
2024年11月29日、全身麻酔下での尿管鏡検査。
造影、検体採取、尿管ステントの留置——看護師である私にとっても、それはいつもの検査ではなく、被験者としても検査、そして人生の分岐点となる出来事でした。
あれから3週間、長くて濃い時間が流れ、ついに2024年12月19日。大学病院での診察室で私は「尿管がんです」と伝えられました。
このブログでは、そのときの気持ち、家族の支え、そしてこれからの治療について、ひとりの患者として、そして看護師としての視点から綴っていきます。
尿管がんの確定診断まで:疑いから確信へ
【H3】「血尿」から始まった小さなサイン
2024年6月、初めての血尿。
2月の腹部エコーでは腎臓に異常は見られなかったのに、わずか4カ月で腫瘍が形成され、症状が現れるほどに。
あまりの進行の早さに、医療者である私も愕然としました。
尿管鏡検査では、尿細胞診と腫瘍の組織を採取。結果が出るまでの3週間は「がんであってほしくない」という希望と、「きっとそうだろうな」という覚悟の間で揺れていました。

【H3】運命の診断日、家族とともに
診断結果を聞きに行く日、妻が有休を取って付き添ってくれました。
病院に向かう前に寄った尾張料理店でのランチ、私は“アジ・エビフライの味噌だれ定食”を注文しました。
もしかしたら、診断結果を受けて酷いショックのあまり…食事が喉を通らなくなるかもしれない——
「それじゃ、おいしいものを豪勢に今のうち食べておこう!」という昼食でした。
そんな不安がよぎる中、それは“普通の時間”を楽しむための、ささやかな願いだったのかもしれません。
診察室に入ると、担当の医師が静かに話し始めました。
「尿管がんです」「手術療法の前に化学療法を行うのが標準的な治療となります」
診断を待つ3週間——交錯する感情と「これからの人生」への問い
尿管鏡検査での組織生検を終え、結果を待つ3週間。
その時間は、ただ“待つ”だけではありませんでした。
「なぜ自分ががんに?」
「しかもこの年齢で、しかも“尿管がん”なんて…」
聞き慣れない病名、前がんの中でも0.2%に満たない希少がん——その言葉が、自分の中に重くのしかかりました。
怒り、諦め、そしてほんのわずかな希望。
造影CTで“もやもや”とした影が映っていたことを思い出し、「やはりがんなのか」と胸の奥で覚悟する一方で、「もしかしたら医師の見立て違いかもしれない」と、根拠のない期待を抱いたりもしました。
この頃から、「これからの人生」について真剣に考えるようになりました。
体力はある、仕事もある、家庭もある——けれど、健康に働き続けられる保証はない。
がんと共に生き、治療と仕事をどう両立していくのか。どんな風に“自分らしい人生”を取り戻していくのか。その問いが、ずっと頭の中を巡っていました。
不安は、ぼんやりとした影のように日常に忍び込んできます。
それを少しでも振り払おうと、私はネットで「尿管がん 手術」「尿管がん 化学療法」などを検索し始めました。
患者会のブログ、医療機関の資料、論文……情報を集めながら、「未来を知ることで不安を抑えようとしていた」のかもしれません。
【H2】診断結果:尿管がん、そして浸潤の可能性
【H3】尿細胞診クラスⅤという現実
尿細胞診の結果は「クラスⅤ」——悪性と断定される細胞が確認された段階です。
さらに、腫瘍組織の検査では、粘膜下層にまでがん細胞が浸潤していることが明らかに。
造影CTでは尿管周囲に“もや”のような影も映っており、筋層を越えて広がっている可能性があると説明されました。
私の頭の中には「手術だけでは済まないかもしれない」という予感が静かに膨らんでいきました。

【H3】治療方針:化学療法か?手術か?
主治医は冷静に続けます。
「この進行度なら、私ならまず化学療法を選びます。ただし、科内のカンファレンスで最終判断をします。明日お電話でお伝えしてもよろしいですか?」
冷静なやりとりの中にも、こちらの気持ちを思いやる配慮が感じられたのが救いでした。
プロとしての姿勢と、人としての優しさ。その両方が、心を支えてくれました。
予定されている治療:dd-MVAC療法とは
「dd-MVAC」レジメンの詳細と意味
決定された治療法は「dd-MVAC」化学療法。
メソトレキセート・ビンブラスチン・アドリアマイシン・シスプラチンの4剤を短期間で集中投与する方法です。
これは尿管がんに対して有効性が高く、手術前の“術前化学療法”として腫瘍を小さくする目的で使われます。
3泊4日の入院を1サイクルとして、6回繰り返す予定。治療期間は約3カ月。
治療に向けた心と体の準備が、静かに始まりました。
副作用と向き合うためにできること
副作用のリストには、骨髄抑制、吐き気、脱毛など不安を感じる項目が並びます。
特に脱毛については、看護師として多くの患者さんと接してきた経験から、外見の変化がどれほど心に影響を与えるか知っています。
だからこそ、あらかじめ短髪にして、自分自身も周囲も少しずつ慣れていくという方法をとるつもりです。
骨髄抑制に備えての感染対策、免疫力を保つ生活、そして何より「自分自身を労わる」こと。これからは、看護師としての知識を“患者の自分”に向けて活かしていく時期です。

家族の支えと看護師としての覚悟
家に戻り、妻と診断結果について話しました。妻も看護師ですが、あえて深刻になりすぎず、明るく接してくれました。
その姿に、私は励まされ、救われました。
「これからも、いつも通りに過ごしていこう」
そんな小さな約束が、これからの治療の支えになるのだと思います。
がん患者としての経験を、看護に活かすということ
これから私は、がん治療の“当事者”となります。看護師として励ましてきた側から、励まされる側へ。そして、また誰かを励ます側に戻れるように、経験を記録し伝えていきたいと思っています。
- 副作用との付き合い方
- 気持ちの浮き沈みの乗り越え方
- 家族との関係の保ち方
そんな「リアルな視点」こそが、闘病中の誰かの支えになれると信じています。
おわりに|この体験を「誰かの役に立つ言葉」に変えて
がんと告げられた瞬間から、人生は変わります。
けれど、それが「絶望」ではなく、「歩むべき道のはじまり」であることを、私自身が証明していきたい。
今この記事を読んでくださっているあなたは、もしかすると同じように診断を受けたばかりかもしれません。
あるいは、大切な人が闘病中で、不安な気持ちを抱えているのかもしれません。
そんなあなたに問いかけたいのです。
「今、誰と一緒にこの時間を過ごしたいですか?」
がんと向き合うということは、命と向き合うということ。
私は、今日もその問いの答えを探しながら、一歩ずつ進んでいます。
