【“がん”が、私を救ってくれた】
がんと聞くと、誰もが「不安」「恐れ」「死」という言葉を思い浮かべるかもしれません。
私もそうでした。がんを告知されたとき、人生が終わったように感じたのです。
でも今、私はこう思うようになりました。
「もしかしたら、この“がん”が、私を救ってくれたのかもしれない」と。
病気をポジティブに捉えるなんて、不謹慎だと思われるかもしれません。
けれど私は、この体験を通じて「がんは人生の“リセットボタン”」になりうると気づきました。
この記事では、訪問看護ステーションを経営していた私が、がんによって人生を立ち止まり、自分を取り戻していった道のりを綴ります。
もしあなたが今、過度なストレスや重荷に押しつぶされそうになっているなら——この体験が、少しでもあなたの心を軽くできますように。
【H2:訪問看護ステーションの経営は、想像以上に過酷だった】
訪問看護ステーションを立ち上げた当初、私は「看護師として、もっと多くの人を在宅で支えたい」という想いでいっぱいでした。
けれど現実は、理想だけでは到底やっていけない世界でした。
営業に出て医師やケアマネージャーに頭を下げ、訪問時間の調整だけでも日に20件以上の電話が鳴ることもありました。
採用活動も苦戦続きで、応募が来ても辞退されることが多く、ようやく採用できたスタッフとの関係づくりも簡単ではありませんでした。
経理はすべて自分。
毎月の資金繰り、給料の支払い、膨大な事務作業に追われる日々。
看護師でありながら、「経営者」「人事」「営業マン」「経理担当」…いくつもの役割を一人で担い、正直、心も体もボロボロでした。
そして一番つらかったのが、「365日オンコール」。
小さな事業所では夜間のオンコールを担える人材も少なく、求人をかけても人が集まらない現実がありました。
最終的には、自分がその役を引き受けるしかなかったのです。
いつもスマホを手元に置き、常に“何か起きるかもしれない”と気にしながら生活していました。
土日も夜間も関係なく、電話が鳴れば対応しなければならない。
地元を離れることもできず、家族と外食に出かけるときは、私は訪問車で、家族は別の車に分かれて移動。
ある日、スシローの自動ドアをくぐった瞬間、オンコールが鳴り、私はそのまま緊急訪問へ向かいました。
…あの瞬間は、素直に「つらい」と思いました。悲しかった。
けれど、「やめる」という選択肢はなぜか自分の中にはありませんでした。
家族と過ごす時間も、自分の時間も削られ、
気づけば、私は“私”でいることを忘れてしまっていたのです。
H2:がんの告知——限界だった私へのストップサイン
「尿管がんの可能性が高いですね」
クリニックで医師からそう伝えられたとき、私の頭の中は一瞬で真っ白になりました。
画像所見を一緒に見ながらの説明。看護師である私は、その意味を理解してしまう。
けれど、分かっていても、想像していた以上の衝撃でした。
診察を終えて車に乗り、大学病院へ向かう途中、涙が止まらず、ただひたすらに
「これは夢であってほしい」と願っていました。
けれど、現実はあまりにも生々しく、あまりにも重かったのです。
私の頭の中では、
「仕事、どうしよう…」
「負債もある。ステーションもある。止まれない」
「でも…自分は死ぬかもしれない」
この3つのフレーズが、ぐるぐると回っていました。
その後、尿管がんの手術を受け、私は一度、現場へ復帰しました。
「再出発しよう」
そう思って、追加融資500万円を銀行に相談し、税理士と一緒に経営の再建計画を立てていました。
…しかし、術後一ヶ月目の外来診察で、医師から告げられたのは「転移している」という現実でした。
この瞬間、頭の中は真っ暗になり、全ての歯車が止まりました。
「治療を受けながら、事業は続けられるのか?」
「倦怠感、吐き気、脱毛の中で、看護師としての仕事を続けられるのか?」
「融資は返せるのか? 家族をどう支える?」
その日、初めて私は「もう無理だ」と思いました。
がんを恨みました。「なぜ今なんだ」と、憎くてたまらなかった。
でも、あれから少しずつ状況は変わりました。
訪問看護ステーションを廃業すると決めてから、利用者さんを他のステーションへ一人ずつ丁寧に引き継ぎました。
夜間のオンコールもなくなり、休日の出勤もなくなり、
——私は、やっと「自分の時間」を取り戻しました。
家族と食事に出かける。
スマホを気にせずスーパー銭湯でサウナに入り、マッサージを受ける。
人生初のコンサートに出かける。
そんなひとときを過ごしていると、不思議な感覚が芽生えてきたのです。
「あれ、私、生きてる…」
毎週治療に通いながらも、自分を感じる時間が戻ってきた。
笑うこと、休むこと、感じること。
——私は、ようやく「人間らしく」呼吸できるようになったのかもしれません。
そして、ある日の午後、洗濯物を干していたときにふと思いました。
「がんになってよかったかもしれない。がんが、私の人生をリセットしてくれたのかもしれない」
もちろん、がんによって失ったものもたくさんあります。
でも、「やっと、立ち止まることができた」という実感は、確かな救いでした。
H2:がんがくれた“本当の人生”——小さな幸せの再発見
訪問看護ステーションを閉じたあと、生活は大きく変わりました。
スマホの音に怯える日々は終わり、夜中に目を覚ますこともなくなりました。
休日は本当に「休日」になり、家族と一緒に外食したり、いちご狩りに出かけたり、
「こんなにも時間ってゆったり流れるんだ」と、驚きすら感じました。
人生初のコンサートにも行きました。
ずっと高校時代から聴いてきた渡辺美里さん。
「My Revolution」が会場に響き渡った瞬間、
涙が溢れて止まりませんでした。
おそらく、コンサートの1/3は泣いていたと思います。
思えば、がんになったこと自体が私の “My Revolution” だったのかもしれません。
訪問看護を始めた理由は、「在宅で過ごしたい方に寄り添いたい」という純粋な想いからでした。
それは、父のことが背景にあります。
私は看護師であったにもかかわらず、父を自宅で看取ることができず、病院で最期を迎えました。
その償いのような気持ちで、訪問看護師という道を選び、経営という重責を担いました。
今は経営を離れ、治療を続けながら“いち訪問看護師”として働いています。
365日のオンコールもありません。
患者さんと向き合い、話し、そばにいる——
それだけで私は、「生きている」ことを実感しています。
最近では、家族と丸一日過ごせることが本当にうれしい。
高速で1時間かかる場所へ、いちご狩りに出かけ、
その帰りには、以前利用者さんから教えてもらったハンバーグ屋さんへ。
こんな時間が、かけがえのない宝物なんだと気づきました。
あの頃は、見えない鳥かごの中で必死にもがいていたような日々。
それが今、がんというきっかけで、ようやく“外に出られた”ような気がしています。
そして、その先に広がっていたのは——
自分自身を取り戻せる、静かで穏やかな、幸せな毎日でした。
そして今、伝えたいこと——がんが“終わり”じゃないこと
がんと診断されたその日、
私は「もう死ぬかもしれない」「人生が終わったかもしれない」——
そんな思いが頭を支配しました。
どんなに多くのがん患者さんを支えてきた看護師であっても、
自分が“がん患者”になると、すべてが変わる。
わかっているはずの知識も、経験も、
不安や恐怖の前ではあっけなく吹き飛んでしまうものでした。
この3年間、私は自分の信念を信じて、訪問看護ステーションを立ち上げ、経営し、全力で走り抜けてきました。
でも今思えば、その代償はとても大きかったのかもしれません。
強いストレスにさらされ続けた日々——
それが、がんとして身体に現れたのではないかとさえ思います。
でも、だからこそ思うのです。
がんは、私を“止めてくれた”。
がんは、私に“生き直す”きっかけをくれた。
ずっと止まらずに走り続けていた私を、
体の奥深くからのアラートサインで止め、
“本当の自分”を取り戻す時間をくれたのです。
もちろん、がんになることは誰にとっても大きな試練です。
今これを読んでくださっているあなたも、
もしかしたらがんと向き合い、つらい毎日を送っているかもしれません。
「なんで自分が…」と、何度も何度も思ったかもしれません。
だけど、がんになってしまった今——
私たちにできるのは「今の現実を、どう受け止めるか」だけだと思うのです。
私は、自分の人生がリセットされたことで、
ようやく「生きている」と感じられるようになりました。
だからこそ、今つらいと感じているあなたに伝えたい。
がんは、終わりではなく“始まり”かもしれない。
小さくて静かな「希望」は、
きっとあなたのすぐそばにあるはずです。
それに気づくのは、今日かもしれないし、明日かもしれません。
でも、焦らず、ゆっくり、自分のペースで進んでいってください。
私も、今、その道を歩いています。
あなたの人生にも、もしかしたら“リセット”のサインがあるかもしれません。
それに気づく“静かな時間”を、少しだけ持ってみませんか?