~25年看護師として働いてきた私が、がんを告知された日~
- 看護師としてがん患者さんを支えてきた私が、がん患者になるなんて
- 「まさか自分が」——告知の重みと“知っている”ことのつらさ
- 医療者だからこそ感じる、ギャップと無力さ
- 自分が患者になって、はじめて見えた景色
- 看護師として、がん患者として、今だから届けたいメッセージ
- 最後に
看護師としてがん患者さんを支えてきた私が、がん患者になるなんて
私は25年間、看護師として外科・内科・救命センターと、あらゆる診療科で勤務してきました。
外科では術前管理から退院指導まで、内科では抗がん剤治療や緩和ケアなど、がん治療に幅広く携わり、何百人というがん患者さんと接してきました。
「がん患者さんの気持ちは、よくわかっているつもり」
そう思っていたのです。
患者さんの痛みやつらさ、不安に寄り添ってきたからこそ、自分ももしがんになったら冷静に向き合えると思っていました。でも——
まさか自分が、50歳手前で「がん」であること、しかも転移していることを告げられるなんて。
その瞬間、世界が音を立てて崩れたような感覚でした。
「まさか自分が」——告知の重みと“知っている”ことのつらさ
最初に「がんの疑いがある」と言われたのは、近所のクリニックでした。
検査が進むたびに、医師の表情や数値の変化から、私は“察して”しまったのです。
看護師としての知識があるからこそ、画像を見れば「水腎症」だとわかる。血尿が出ている。結石が映っていない——。
「これは…悪性かもしれない」
誰にも言われる前から、私の頭には“最悪のシナリオ”が浮かんでいました。
でもそれでも、いざ「尿管がんです」と告げられたときの衝撃は、想像をはるかに超えていました。
医療者だからこそ感じる、ギャップと無力さ
患者さんに検査結果を伝えるとき、医師はやさしい言葉を選んでくれるでしょう。
でも私には、その「裏側」が見えてしまう。血液データやCT画像が語る現実を、つい先回りして理解してしまう。
だからこそ、怖かった。「自分の体に、なにが起きているのか」
「この先どうなるのか」
わかることが、かえって不安を増幅させることがあるんだと、身をもって知りました。
自分が患者になって、はじめて見えた景色
がんを告知されたその日から、私の人生は一変しました。
これまで見てきた景色が、まったく違って見えるのです。
「健康で、働けて、ごはんが食べられて、一日を過ごせること」
それがどれほど尊いことか。どれほど奇跡的なことか。
ようやく気づきました。
誰かに「今はがんは治る時代だよ」と言われても、心は沈んだまま。
「2人に1人ががんになるから、気にするな」と励まされても、返って孤独を深めてしまう。それはきっと、悪気がある言葉じゃない。
でも、がんになった人にしかわからない痛みが、確かにあるのです。
看護師として、がん患者として、今だから届けたいメッセージ
医療者のあなたへ
がんは“治る可能性のある病気”になりつつあります。
でも——告知された瞬間の絶望は、今も昔も変わりません。
多くの人が「死」を意識し、人生の時間を考えはじめます。
患者さんは、あなたの言葉や表情に、とても敏感です。
だからこそ「がん=怖くない」という言葉より、そばに寄り添い、「一緒に頑張りましょう」という想いを伝えてください。
それだけで、どれだけ救われるか。
私は、身をもって知っています。
同じように、がんと向き合っているあなたへ
がんと告げられた瞬間から、あなたの心の中には不安や孤独が押し寄せたと思います。
「なぜ私が」
「これからどうすればいいの」
私も同じでした。
検査、手術、抗がん剤、再発の恐怖…
次から次へと、試練が待っています。
でも、どうか一人で抱えこまないでください。
信頼できる医師に出会ってください。
なんでも話せる看護師を見つけてください。
そして「がん相談支援センター」や同じ境遇の患者さんとつながる場を、ぜひ活用してみてください。大事なのは、一人にならないこと。
それは、がん患者になった看護師である私が、いまいちばん強く伝えたいことです。
最後に
看護師として、がん患者さんを支えてきたつもりだった私。
でも実際に自分が患者になってみて、見えてくるものが全然違いました。
医療者としての視点と、患者としての実感。
この二つの視点を持つ私だからこそ、これからブログを通して発信できることがあると信じています。もしあなたががん患者であっても、医療者であっても——
このブログが、あなたにとって少しでも心のよりどころになれば嬉しいです。