「当たり前」の尊さに気づいた日々——がんを経験して変わった“見え方”
がんになって「よかった」
がんになって「よかった」なんて、私はやっぱり言えません。
抗がん剤の副作用、繰り返す検査、不安な夜…そんな中で、心も体もすり減って、「なんで私が」と何度も思いました。
でもそれでも、がんになったからこそ見えた世界があります。
それは、がんにならなければきっと気づけなかった——
自分自身のこと、家族のこと、人とのつながり、生きるということの重み。
このシリーズでは、「がんを経験したからこそ感じた10の気づき」を、ひとつずつ丁寧に綴っていきたいと思います。
無理に前向きにならなくてもいい。
でも、もし心のどこかで「何かを感じてくれた」なら、それはきっと、同じように闘っている誰かの光になると信じています。
「がんを経験したからこそ感じた10の気づき」第4話は、「健康のありがたみ」についてお話しします。
はじめに
「健康がいちばんだよ」
そんな言葉、以前の私は軽く聞き流していました。
看護師として働いていた私は、健康の大切さを知識としては理解していたつもりでした。
けれども、それはどこか“患者さんの話”であって、自分ごととしてはとらえていなかったのです。
日々の業務に追われる中で、体調の変化にも鈍感になり、「自分は大丈夫」と過信していた部分がありました。
がんを告げられたあの日、私はようやく“健康”を本気で考えるようになったのです。
「排泄できる」「歩ける」「眠れる」「お通じがある」「痛くない」。
どれも“奇跡”です。
第1章:普通に「排泄できる」って、どれだけ幸せなことだろう
私の手術は尿管がんによるもので、術後しばらくはバルーンカテーテルを使用していました。尿道口から1本のカテーテルが出ており、ウロバッグという袋に尿がたまる仕組み。慣れない違和感と、排尿の感覚がなくなる不快さに、心身ともに落ち着かない日々でした。
BCG免疫療法が始まってからは、排尿時の激しい痛みと膀胱の違和感、頻尿に悩まされ、何度もトイレに駆け込むたびに身体も心もすり減りへりました。
今では症状もかなり落ち着き、こうした辛さを忘れかけている自分がいます。パンツにパットを入れていたのが懐かしく感じます。
それでも、健康だった頃には感じたことのなかった“普通に排尿できるありがたさ”を心から実感したのは、この経験があったからこそです。
自分の意思で、自然に排泄できること。それは、決して当たり前ではなく、健康がくれるかけがえのない贈りものなのだと、今なら言えます。
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第2章:「歩ける」ことは、自立の第一歩だった
看護師として、早期離床の重要性は理解していたつもりでした。だからこそ、手術の翌日に看護師さんから「少し起きてみましょうか」と声をかけられたときも、理屈では納得していたんです。
でも、実際に自分がその立場になると話は別でした。痛みで体を起こすことすらままならず、腹筋に自然と力が入るたびに「こんなにも腹筋を使ってたんだ」と驚きました。
少し脂肪がついたお腹でしたが、それでも確かに“支えてくれる筋肉”がそこにあると感じた瞬間でもありました。
そしていざ歩こうとすると、一歩がとても重たく感じられました。足を出すたびにバランスを取り、体重を移動させる。「歩く」って、なんて複雑な動作なんだろうと、初めて知りました。
普段は無意識にやっていることが、こんなにも精密で、筋肉や神経、バランス感覚など多くの機能が連携して成り立っていることに、あらためて気づかされました。今、自由に歩けることに、私は心から感謝しています。

普段は無意識にやっていることが、こんなにも精密で、筋肉や神経、バランス感覚など多くの機能が連携して成り立っていることに、あらためて気づかされました。今、自由に歩けることに、私は心から感謝しています。
第3章:「眠れる夜」が、こんなにも尊いとは知らなかった
入院中、私はなかなか素直に眠ることができませんでした。痛みや不安に加え、輸液ポンプのアラーム音、大部屋での同室者のいびき…。
特に私は看護師だったため、どうしても他の患者さんの様子が気になってしまい、睡眠時無呼吸症候群の兆候が見える方がいると「一分も呼吸止まっているけど大丈夫かな?」と心配してしまうこともありました。
また、鎮痛剤が効いていても、寝返りのたびに傷が痛んで目が覚めたり、眠りが浅かったりと、慢性的な寝不足に。
そんなとき、医師に処方してもらった睡眠薬でようやくまとまった眠りを取ることができ、少しだけ心身が回復したのを感じました。
それでも、自宅の慣れたベッドで、低反発の枕とサラサラの布団にくるまれて眠る安心感とは比べものになりません。朝までぐっすり眠れることが、どれだけ体力と気力の回復につながっていたのか——身をもって知りました。

眠れるって、本当に素晴らしいことです。
第4章:「お通じ」がある日常が、どれほどありがたいか
健康なとき、手術前は便通で困ったことなど一度もありませんでした。毎日ちゃんと食べて、自然に出る。それが“普通”だと思っていました。
しかし、下腹部の手術を受けた私は、その“普通”がまるで別世界の話のようになりました。まず、あまり動かない生活と水分不足で、便秘がちに。腹部の傷が痛むために起き上がるだけでも苦痛なのに、排便時に力を入れることなどまさに拷問でした。
さらに、痛みだけでなく、トイレに行くこと自体がつらいため、便意すら遠のいていきました。そうなると便はさらに硬くなり、出すことがより困難になっていくという悪循環に陥ります。
それでも、少しずつ回復し、ある日ふと自然にお通じがあったとき、とてもすっきりし、スムーズな排便のありがたみを身をもって感じました。

普段の生活ではあまり意識しない排泄について。でも、こうして「出る」ことひとつで体も心も整っていきます。まさに、お通じは健康の証なのだと、今はつくづく感じています。
第5章:「痛くない」時間が、人生を回復させていく
排尿・排便・歩行・睡眠——あらゆる行動に痛みがついてまわった術後の毎日。体にメスを入れ、腎臓を摘出し、腹腔鏡の穴が4つ、そして腎臓を取り出すための12cmの傷。痛みがあるのは当然だと頭ではわかっていても、健康だった頃と比べてあまりに不自然な痛みと強さに、正直心が折れそうでした。
起き上がること、着替えること、寝返りを打つこと。どれもこれも、傷口がビリッと響いて、ためらうようになっていきました。くしゃみなんてもってのほか、笑うことすら痛い。日常のあらゆる動作が制限されてしまいました。
そんな私の様子を見て、看護師さんは鎮痛剤を複数組み合わせて、極量まで調整してくれました。すると、不思議と体が軽く感じられ、スッと起き上がることができたんです。「あれ?痛くないかも?」と驚きました。
その瞬間、「痛みがない」という状態が、どれほど自由を与えてくれるかを思い知りました。動ける、笑える、息がしやすい——すべてが可能になる。それだけで、人生は大きく変わります。

そして、看護師としての私もまた、この経験を通して術後の痛みに対するケアの大切さを改めて学びました。患者さんの“動けなさ”の背景にある痛みに、もっと寄り添っていこう。そう強く思ったのです。
第6章:あなたの“今日”は、奇跡の連続かもしれない
がんを経験された方や、大きな病気をされた方なら、きっと共感していただけると思います。健康がどれほどありがたいかということを。
普段は何も感じないような動作や日常生活のひとつひとつ。けれど、それらは実に精巧に組み合わされていて、どこかひとつに痛みや障害があるだけで、すべてに影響を与え、生活の質(QOL)は大きく落ちてしまいます。
「健康第一」という言葉は、どこかありきたりに聞こえるかもしれません。ですが、それは本質を突いた言葉なのだと今ではよくわかります。健康がなければ、人生を楽しむことも、やりたいことに挑戦することもままならず、仕事や人間関係にも影響を及ぼしてしまいます。
だからこそ、今自分が健康であるかどうかを知ること、そして守っていくことはとても大切です。定期健診を受ける、自分の体の声に耳を傾ける、そういった小さな積み重ねが、未来の自分を守ってくれます。

今日という日が、奇跡の積み重ねでできているとしたら—— その“普通”に、静かに感謝できる自分でいたいと、私は思います。
おわりに
あなたは今日・・・
✔ ごはんを「おいしい」と感じましたか?
✔ 自分の足で、好きな場所に出かけましたか?
✔ 夜、ぐっすり眠れましたか?
✔ お通じは、順調でしたか?
✔ 痛みなく笑えましたか?
もし「はい」が一つでもあるなら、きっとそれは“健康の証”。
がんを経験して、私はようやく気づきました。
「当たり前の日常」こそが、一番ありがたいことだったんだと。
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